心が変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わるという。ではそもそもの心をまず変えるにはどうすればいいのか。心を変えるために必要なのはたった一つの言葉だったりする。偉人や成功者たちの言葉を集めて、特に自分の感性に合ったものを基本的思考に落とし込むことができれば先達と同じように成功できる可能性を高められる。私は自己啓発本や自伝をよく読んでおり、その経験からそこで綴られる教訓には明らかに重複するものが多くあると知った。同じ内容の教訓でもわずかに言葉遣いが違うだけで妙に腑に落ちて生き方の指針となるものがあるので、そういう言葉に出会ったら書き留めておくといいだろう。
他人の言葉だけでなく、自分の中から湧き出てきた言葉にも名言はあるものだ。そういった言葉は精神的に落ち込んだときに読み返すと過去の自分が励ましてくれる拠り所にもなる。過去の自分が味方になってくれる人は強い。
教訓だけでなく自分をほめる日記を書き溜めることも未来の自分の力になる。見返したときにいつも自己肯定感を高められるとしたらそれは大きな武器だ。日記とはいっても毎日無理に書く必要はなく、自然に書きたくなる誇れることがあったときだけ書くようにすれば質も高くなる。また、日記に書けるいいことを増やせるような行動をとろうという意識が芽生えることもあり、そうなればなお好ましい。行動したことを記録する流れを、記録したいことの行動をするという流れに逆転させるということだ。
口癖も強力な言葉の力の一面だ。私がお勧めする、人生が楽になる口癖は「世の中そういうもんなんだろ」「しゃーなし」「知らんがな」などだ。上手く受け流す思考回路を身につけると強くなれる。強さを求めるにあたっては、硬さよりもしなやかさを目指すといい。硬さ一辺倒の戦略では疲労の蓄積により弱くなるし、いずれ自分より硬い何かに出会って砕け散ってしまう。しかし充分にしなやかでさえあれば誰も自分を傷つけることなどできなくなる。硬さでの勝負をかわすしなやかさこそ強さなのだ。
言ってしまいがちな悪い口癖や思考の癖に気づいたら、それを別の前向きな言葉に言い換えて書き留めておくことも有効だ。短所は長所と表裏一体なことが多い。例えば私の場合だったら社会に適合できな過ぎてとうとう不当に抑圧されている神裔諸君を救って、本当にあるべき社会を創造しようなどと考えるようになった。「なんで私ばかりこんな目に」という口癖は「これは教育やろなぁ」という社会の改善点として意識する口癖に変更したところ気分が落ち込むことがなくなった。
口癖以外に注意が必要な言葉に悪口がある。口癖も悪口も一番近くで聞いているのはその言葉を発した本人だからだ。率直に言って、嫌いな者の不幸を喜ぶのはいいことだ。他人の不幸を喜ぶななど言う人はただの偽善者だし、そう言っている本人が実践できているかどうかも怪しい。しかし悪口はその内容を慎重に選ぶ必要がある。言っていいことと言ってはいけないことを他人が決めるなどということは言論の自由の深刻な侵害なので絶対に許されない。しかしここでいう悪口の内容には注意が必要だというのは、社会的な意味でではなく個人的な理由によるによってだ。具体的には自分自身の思い切った行動を委縮させないような内容にすべき。例えば嫌いな者が挑戦してその結果失敗したとしたら、失敗については喜びつつも挑戦したという事実については笑わずに評価してやるようにするといい。そうしないと自分が挑むときに笑われることを恐れて果敢に挑めなくなってしまう。悪口は言っていいし、敵のことを気にかけてやる必要もないが、自分のことは常に気にかけて悪口を扱うようにしないといけない。
言葉の大切さを理解していただけただろうか。言葉が思考を作り、思考がその人にとっての現実を作るのだ。よって冒頭に記した名言を私なりに言い換えてみる。言葉が変われば思考が変わる、思考が変われば個人が変わる、個人が変われば集団が変わる、集団が変われば世界が変わる。世界を変えるような選ばれし者たちには輝かしい言葉を使うことが宿命づけられている。世界は私たちの言葉が創っていくのだ。
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