真の多様性とは何か

私は現在の風潮として蔓延している多様性という概念が嫌いだ。それとは一線を画す真の意味での多様性を重んじている。多様性という概念は、どの水準で判断するかによってまったく見方が変わる。私の言う多様性とは、地球規模の水準で存在しているべきものだ。国境のこちら側とあちら側で多様な色が存在していることが重要なのであって、各国の内部に無秩序にいろいろな色をまぜ込もうとする企ては許されない。

学校の絵画の授業を思い出してみればいい。絵の具にあるすべての色をまぜてみると真っ黒な汚い色に成り下がっただろう。いや、厳密に言えばあれは黒ではない。黒は黒で何ものにも染まらない強さを秘めた色で、黒にしかない美しさがある。絵の具をむやみにまぜてできた色というのはヘドロ色とでもいうような汚い緑になる。国の内部に異なる色を捨て入れるというのは、各国独自の美しい色を汚す行為だ。日本には日本の色だけが存在していればいい。そしてそれぞれの国の中にも絶妙に調和した諧調はあって、細やかな多様性は保たれている。そうして地球規模で何百もの色は共存してこそ本当の多様性は維持される。国際主義というのはその理想の正反対の策謀で、全世界を一つの醜い色に染め上げようという邪悪な企てだ。うまい水に酒をまぜるようなことはしてはいけない。純なるものというのは、純であるというだけで無条件に美しいのだ。

真の多様性を維持するために自身が普段とる行動一つ一つに対して、これは真の多様性を守るために資する行為だろうか、それとも逆に損ねてしまう行為だろうかと常に自分に問うて生きなければならない。悪は私たちの何気ない行動を利用する形で侵食してくるものだから。地獄への道は善意で舗装されていると言われるが、善意だけでなく利便性、快楽、美辞麗句、革新性などで舗装されていることもある。心の戸締りを怠らないよう絶えず注意しておかなければならない。

世界はバラバラのままの方が安定する。不完全な人間ごときが世界を一つにまとめようとすると、一つの不完全な世界ができるだけだ。そんな世界はいずれ必ず崩壊する。大切なものは一つにまとめて保管してはいけない。臓器も重要な器官は二つある。世界も最低でも二分しておくべきだ。できれば多極化させておくことができたらなおいい。みんな違ってみんないいのだ。それでも私は無数の色がひしめくこの世界の中で、最も美しく咲き誇るのは私たちの大八洲だと確信している。

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