人生は一つの物語

人の一生は一冊の本だ。そして本には必ず題名がある。もしあなたが自身の現状に不満を抱いているのだとしたら、人生の題名を変えてみるといい。そうすれば日々何気なく生きている生き方に芯ができて、何かが確実に変わるだろう。そもそも人生という作品に題名をつけるという発想をしていない人が多いように思う。それでは生き方の指針が定まらないのも当然だ。

題名をつけるにあたっては、自身の現状に関わらず己が理想を込めた題名にすることが大切。量子力学や引き寄せの法則などで知られるとおり、人の運命は本人が意識したとおりの方向へと流れていくものだ。まずは自分が望む運命を意識しないと、それが実現することもない。そして望む運命を意識するためには、人生に題名をつけるという行為が極めて有効なのだ。

理想と言われても特になく、惰性で生きてしまっているという人もいるだろう。そういう人は無理に人生の大目標を見つけようとするよりも、ひたすら楽しく生きるということを指針にするといい。人生を何度も経験できるのならいろいろな生き方があり得るだろうが、今の自分として生きられるのはたった一度きりしかない。死後に自分の人生を読み返すとしたら、毎日同じ仕事を繰り返すばかりの作品や、お金のことばかり考えて一生を終えるような作品など選ばないだろう。死後に自分が読む作品が面白くなるような生き方を心がけると、楽しい人生を実現する助けになるだろう。思えば物語というものは、終盤が面白くても序盤がつまらなかったら読んでもらえない。だから神は人生の序盤に青春を置いて、人生という作品を読み続ける気力を保てるようにしたのだろう。そして中盤以降を面白くできるかどうかについては自分自身にかかっている。私の経験から言って、楽しいことは次から次へと出てくるもものなので、もったいぶらずになるべく早く手当たり次第に消費していくといいと思う。もったいぶっていると旬を逸してしまうし、早くその楽しいことを経験した方が、それを自分の経験として取り込んだ進化した自分として過ごせる残りの人生が長くなるからだ。

人生に題名がつくと、それに合った世界観が自然と作られる。あなたという人物は同じでも、置かれた世界観によってまったく別の作品になる。たとえば戦闘漫画の主人公がお笑い漫画に登場したらとぼけた人物になるだろうし、推理漫画の主人公がほのぼの日常漫画に登場したら殺人も起きずのどかに暮らすだけになるだろう。周りの環境を望ましい世界観に設定することで、自分自身は無理に変わろうとせずとも希望に沿った人生に変えていけるのだ。

題名に合った世界観を作り上げるにあたって重要なのは、その登場人物を選ぶこと。環境において一番大きな要素は人だ。しかし他人そのものの人格を変えることはできない。だから他人を変えようとするのではなく、他人を選ぶようにするといい。自分の望んだ世界観に合致する人を選ぶのだ。他人は変えることができない。かといって自分をいきなり変えることも難しい。それならば環境を自分に優しい世界に変えてみようということだ。かつてとられていた鎖国制度は優れた制度だった。私たちも鎖国ならぬ鎖人して生きるといい。子供の頃は自分の世界が狭く、与えらえた人間関係から逃れにくいが、大人になってからの人間関係はリセマラ可能だ。気に入らなければ当たりが出るまで変えてみればいい。地位や見栄に固執しない生き方をするほどリセマラしやすい。人が認識できる世界などごく狭い範囲に限られているのだから、自分と考えの近い快適な人だけで周りを固めておくと幸せになれる。

人生を作品として捉えることの効能は正の面だけでなく、負の面においてもある。仮に何か大きな失敗をしたときでも、ある程度までなら失敗も自分史を充実させた出来事だったと納得することができるからだ。谷があるからこそ山場が盛り上がる。これも人生を彩る逆境の一つだと考えて前向きに取り組めば、逆境にも楽しさや意味を見出すことができるかもしれない。

私はこのひどい現世にいる間、楽しく過ごせる世界を一緒に創造してくれる人を募集している。私の救い主としての意識に引き寄せられてここにきたあなたは最高の登場人物だ。一緒にどんな為政者も、宗教家も、思想家も実現できなかった最高の世界をこの世に築こう。天へ昇るまで待ってなんていられないだろう。天国は、この世に創れる。

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